コミュニケーションをあらためて考えてみる
コミュ力やコミュ障という言葉に代表されるように、“コミュニケーション”という言葉は、わたしたちの日常生活や社会生活のあらゆるシーンに溢れています。
学校や会社では、学校生活や社会人生活を送る上で、コミュニケーション能力は、必要な能力であるとされ、身につけることを要請されています。具体的には、社会人には「社会人基礎力」、児童や学生には「生きる力」、という力を備えることのなかに、コミュニケーション能力が入っています。
では、それくらい必要とされているコミュニケーション能力とはいったいどのようなもので、それを必要としている背景、つまり、日本社会とは、いったいどのような社会なのでしょうか。
コミュニケーションの意味
コミュニケーションを辞書で引くと、「情報のやりとり、伝達」ということが記されています。社会生活を営むわたしたちに当てはめれば、「人と人、お互いの間でやりとりされる、たとえば、感情や考え、態度や言葉などの情報の伝達」ということになるでしょう。
わたしたちの多くは、このやりとりを円滑にできる人のことを、“コミュニケーション能力がある人”、としているように思います。たとえば、人前でうまく話すことができる、プレゼンテーションができる、自分の考えを伝えることができる、相手の考えをくみ取ることができる、あるいは、相手の話を聞くことができる、などです。では、このようなことができる人が、コミュニケーション能力がある人なのでしょうか。
※コミュニケーションの意味は幅広くありますが、ここでは人間関係に関するコミュニケーションを扱います。
日本社会におけるコミュニケーション能力
社会人にはコミュニケーション能力が求められている。社会人はコミュニケーション能力を備えていなければならない。できる社会人はコミュニケーション能力が高い。
日本社会、特にビジネス社会において、コミュニケーション能力という言葉は、当たり前のように使われています。この“コミュニケーション能力”という言葉がこれほどビジネス社会に溢れているのはなぜなのでしょうか。このことは、ビジネス社会だけでなく、今や、教育、医療、介護、福祉、家庭など、あらゆる場面に波及し影響しています。
この影響のひとつに、一般社団法人経済団体連合会(以下経団連)が毎年行ってる「新卒採用に関するアンケート調査結果」を挙げたいと思います。特にそのなかの、新卒採用の「選考時に重視する要素」が大きいと考えます。
この調査は1997年から始まったアンケート調査で、今もなお続いています。調査によれば、2018年11月に発表された「選考時に重視する要素」の項目の第1位はコミュニケーション能力で、経団連によれば、コミュニケーション能力は、16年連続で第1位になっています。
出典:2018年度新卒採用に関するアンケート調査結果 経団連HP
この情報は、日本のビジネス社会のなかで、人材育成、組織改革、企業内対人関係などの改善を考える際には、必ずといって良いほど引き合いに出されるデータとなっています。またコミュニケーションや人間関係の学術研究においても参考にされる情報です。
情報の高度化
現代ビジネスは、インターネット、デジタル×AI、ビッグデータ超高速通信など、情報インフラと情報の高度化は欠かすことのできないものになっています。必要な情報を必要な量だけ、瞬時に手に入れることができる。あるいは、必要になるであろう情報を事前に予測して、それを元に情報が個別に提供される。スマートフォンが普及し始めた10年前と比べても、情報の質、量、は格段に上がり、通信システムは第5世代の5Gとなり、情報革命の更なる加速を予見します。
情報の高度化は、わたしたちに利便性の向上をもたらします。仕事の業務内容は、情報の高度化にともない、合理化、効率化がさらに図られ、仕事の質、量は、加速度的に向上します。一方で、仕事の業務内容の高度化は、必然的に業務を連携する人、連携する部署とのやりとりにも、より高度なものを求めるようになります。
やりとりが高度化するとは、言い換えれば、コミュニケーションが高度化するということですから、情報化社会がすすめばすすむほど、実は、コミュニケーション能力が必要とされるということができるのです。
以上2つをまとめると、①日本の経済社会をつくり出している日本企業が、コミュニケーション能力を求めている。②高度な情報化社会では、高度なコミュニケーション能力が必要になる。
コミュニケーション能力が必要であるという背景を探せば枚挙にいとまがないですが、少なくともこのようなことは考えることができるかもしれません。
コミュニケーションの語源
では、コミュニケーション能力とはいったいどのような能力なのかをもう少し考えてみたいと思います。コミュニケーションの意味について、ここでは、「情報のやりとり、伝達」ということにします。
能力を辞書で引くと、「なにかをなし得る力、その働き」、あるいは、「心身機能の基盤的な性能」といったことが記されています。また、“能力”を英語にするとアビリティ(ability)とするなら、ability = be able to つまり、“有能”という意味が含まれます。ちなみにbe able to = can と学校で教えられたと思いますが、can は有能というよりも“可能”という意味合いで「できる」と使われます。
以上のことから、コミュニケーション能力を、「情報のやりとりができる能力」あるいは、「伝達ができる能力」とするならば、それらを、もう少し具体的にいうとどのような能力のことなのでしょうか。
コミュニケーションの語源をたどる
コミュニケーションの言葉を頼りに、語源をたどってみます。コミュニケーションの語源はラテン語のコミュニカチオ、あるいはコミュニスという言葉に行き当たります。コミュニス(communis)には、「共有し合う」「共有物」という意味があります。そのほかに、今でも、「どこにでもある」、「地域社会の」、「民主的な」といった幅の広い使い方がされているようです。
横道に逸れますが、communisのmunisには、「勤労、仕事、義務」といったと意味があり、さらに語源をたどると、イタリック祖語の「奉仕」や「交換」という言葉のところまでたどることができます。コミュニケーションが「情報のやりとり」だとするならば、「やりとり」とはすなわち「交換」のことですから、まさに語源の通りということです。言葉の語源やその源泉をたどることは、とても興味深いことなのですね。
わたしたちはなぜ「共有し合う」のか
コミュニケーションの語源をたどって、コミュニスには「共有し合う」という意味があるようだということはわかりました。それをわたしたちのもう少し身近に引き寄せて、「わかり合う」とか、「わかち合う」、「理解し合う」、あるいは、「愛し合う」としてみると、よいコミュニスのニュアンスが伝わるのではないでしょうか。ではなぜ、わたしたちは、共有し合ったり、わかり合ったり、分かち合ったりしようとするのでしょうか。
それはいったいなぜでしょうか
このような問いかけをすると、それは、「社会生活をするため」、「人間関係を円滑にするため」「生きるため」、「集団として生存するため」、あるいは、「危険から身を守るため」、「社会では、そうしなければならないから」、といった答えが返ってきます。確かにその通りなのです。わたしたちが共有し合ったりするのは、そういうことがあるからなのです。
ですが、もう少し考えを深めるためにもう一度、なぜ、わたしたちは、わかり合ったり、わかち合ったり、理解し合ったり、共有し合ったりするのでしょうか。
コミュニケーションの前提
このことは、このように考えることができます。それは、わたしたちはお互いに、「まだ、わかり合えていない」、「まだ、わかち合えていない」、「まだ、理解し合えていない」。
だからこそ、わたしたちはお互いに、「わかり合いたい」、「わかち合いたい」、「理解し合いたい」、あるいは、「共有し合いたい」、と思いを巡らし、考えるのではないでしょうか。
実は、コミュニケーションには前提があって、それは、「わかり合えていない」、「わかち合えていない」、「理解し合えていない」、あるいは、「共有し合えていない」、というようなことが前提にあります。このような前提があるからこそ、わたしたちは、コミュニケーションをとりたい、とり合いたいと思うのです。
たとえば、わたしは、そのことについて、「わたしは知らない」という態度を取ることで初めて、そのことについて「知りたい」、となる。つまり、知ることができるようになるのです。
あいさつの意味
わたしたちは、初めて誰かに会ったときには、必ずあいさつをします。あいさつには、「わたしはここにいますから、そのことに気づいてくださいね、そして、あなたがそこにいることを、わたしは気づいていますからね」、というメッセージのやりとり、つまり、交換なのです。なぜ、そのようなことをするのかというと、それはお互いにまだお互いのことを“知らない”からにほかなりません。
たとえば、その誰かに好感を抱けば、わたしたちは、名前を聞いたり、好きな食べものや趣味のこと、住んでいる場所などを聞いたりします。それはなぜなら、そのことについて、わたしはまだなにも“知らない”からなのです。つまり、わたしたちは、そのことについて知らないからこそ、知りたいと思うということなのです。
コミュニケーション能力とはなにか
さて、コミュニケーション能力を考える上で、
コミュニケーションの意味…「情報のやりとり、伝達」
能力=アビリティ…「できる・有能・性能」
コミュニケーションの語源…「共有し合う・やりとり」
コミュニケーションの前提…「まだ、共有し合えていない、わからない、知らない…」
ということをみてきました。次のようにまとめてみたいと思います。
まとめ
コミュニケーション能力とはどのような能力なのかというと、「目の前にいる人は、常にわからない存在の人であるとできて、どうすれば、わかるようになるのだろうかと、常に人間関係づくりに取り組むことのできる能力」。あるいは、「目の前で起こっている事象は、常にわからない事象であるとすることができて、どうすれば、わかるようになるのだろうかと、常に課題を設定してその解決に取り組むことのできる能力」。
このような、あなたとわたしのお互いの間には、大きく横たわるわからなさの深い溝が常にあることを前提に、それでもなお、その大きく横たわる溝に橋を架けようとすることのできる能力。わからないものをわからないなりに、わからないけれども何としようとすることのできる能力。わからなさを抱え続けられる能力。そのような能力のことを、わたしたちドリームフィールドは、コミュニケーション能力と呼んでいます。
今なお、コロナ禍にあって終わりの見えない状況が続いていますが、今こそ、わたしたちが持ち合わせているであろうコミュニケーション能力を発揮する時なのだと思うのです。